車輪の徒然なるままに

生活の中で気づいたことをストレートに書き綴ります

ストレスチェック

タイトルの件、法制度化されてから、3回(3年)受けたことがあります。

1年目の数値は200弱、2年目の数値は300弱、3年目の数値は500弱と、年を重ねる毎に算出される値が増えて、当然のごとく毎年「高ストレス」と表示されてきました。

産業医との面談も実施したことがあります。

1年目の時点で「20時以降は勤務をさせないように」との伝達があったのですが、現場が回らないということで、報告を受けた1番目の社内の人間から、他の社員に伝達が行くことはありませんでした。

「石の上にも三年」を信じて、数年間、辞めずに社員を続けてきました。

正直なところ、1年前後で辞めても良かったと後悔しています。

入社してから1年が経過した頃、大量に退職者が出て、異常な量(1日あたり最大で12時間近く)のワンオペを行うことが多くなったときがありました。

しんどい時期は3ヶ月ほどで過ぎ去るとわかっていたので、辛抱しました。

その後に昇格の時期が来て、評価されるだろうと考えていましたが、結果は散々たるものでした。

今は、変な意味で居続けることに慣れてしまいました。ただし、家に帰るとベッドにもたどり着けずに寝落ちしていることが多いです。

Twitterをさかのぼるとわかってしまうので、あえて書くのですが、「ASDスペクトラムの傾向にある(俗に言う発達障害ADHDアスペルガー症候群の傾向が入っている)」という検査を医師より受けています。

イレギュラーなことが少しでもあると、他の大多数の人よりも戸惑ってしまう度合いが大きく、薬(ストラテラ)を服用して、適応しています。

そういったこともあって、ストレスを受けてしまう度合いも大きいということもあるかもしれないですが、「薬を飲んででも適応しなければならないのか」という葛藤もあります。

仕事内容自体は嫌いではありません。むしろ好きです。

そういった要因や気持ちがあるのであれば、業務委託契約を会社と交わして、現状の仕事を続けるといった手段もあります。

ただ、内情を知っている「社員」から見ると、当然、業務委託契約だけでは食べていけず、他の仕事もしながら副業としてできれば幸せな仕事だな、という感じです。

本当であれば今の会社に属しながら副業ができたらと思います。

シフトが工夫できないので、睡眠を工夫したり、食事を取る時間を工夫したりしても、業務量は年々増えるばかりで、現場の売り上げも、前年と比べると、毎年毎に増えていて、会社の売上自体も増えているのにもかかわらず、全く評価もされず、組織自体も嫌いになってきます。

そうなると、こういった会社と業務委託契約を取り交わしてまで仕事を続ける気持ちは薄れてしまいます。

食い繋げられれば、どこぞの会社に所属している必要はない(社員という立場である必要はない)と思うのですが、履歴書に空白期間を作らないようにしたいなと思っています。

自己研鑽で心がけること

自分自身が標題のことをやるにあたり、気づいたことだったり、まわりの人を見て気づいたことだったりします。

今日、新しいことを学習したいと思ったときに手に入れられる資料はいくらでもあります。
(「こういう良い時代になり、恩恵に肖って期待してしまう人が増えた気がする‥‥」という思いを書きたい記事でもあります)

ネット、書籍(実質無料のものもあったり)、学習用のカリキュラムを提供してくれるような業者(ビデオの教材だったり、通学形式の教室もある)、さらに、専門分野に精通しているスゴい人とネットなどで知り合って、結果として自分自身が身につけたいことを伝達して頂けることもあります。

正直、ここまでは敷居がそんなに低くない。

しかし大変なのが、このあとで…。

例えば、手順が書いてある資料が手に入ったとして、その通りに実践してみただけでは、その資料の内容しかできるようにならないんです。

手順が書いてある資料に基づいて、何かを得ようとするのであれば、その資料に書いてある手順によって、どんなことが起こるのか、またその資料が何を伝えたいのか、自分自身がどういった手段を取っているのか、その結果、どういったことが発生したのか‥‥自分なりに頭の中で考えながら、自分自身の中に落とし込んでいかないと、全く身につかない。

前述の通り、新しいことを学ぶ手段は今の時代にはいくらでもありますが、それを使って学習に取り組む人が、 自分なりに頭の中で考えながら、自分自身の中に落とし込んでいく姿勢がなければ、全く役に立たず、その人も研鑽をすることは困難でしょう。

この状態、「受け身(受動的)」という言葉があてはまります。
対になる言葉だと「能動的」ですね。

この状態が必ずしも悪いことはなくて、一緒に考えながら学習を補助してくれる人がいる状態が作れれば良いと思います。

ただ、「学習を補助してくれる人がいる状態を作る」というシチュエーションは、「受け身」では作れません。

また、「学習を補助してくれる人がいる状態を作る」が見つかったとしても、そのあとは学習したい側が「受け身」になってもいいということもありません。

ここまでを振り返ると学習を行うには能動的にならなければならないということになりますが、これがまた難しいものです。だから、どうしても受け身になりたくなってしまう。

受け身になってしまう理由としては、能動的になりにくい要因が潜んでいると思います。

社会人の自己研鑽が目的であれば、日頃の仕事で頭を使って、いざとなって自己研鑽をしようとしたときに、疲労困憊してしまっていて頭が回らないとか、そもそも自己研鑽の開始地点のベクトルがズレている(能動的になりにくい、自分に合わない学習方法をしようとしてしまっている)といったことがあげられると思います。

自己研鑽などを行う側として心がけたいことは、自分自身がいかに能動的かつ積極的になって自己研鑽できるかを考えながら、ブラッシュアップしながら、行動していくことが大切だと思います。

反対に、自分に合わないと思った資料や書籍だったり、補助してくれる人がいたりした場合は、著者や手伝ってくださった人との相性が合わなくて、自己研鑽が進まなかったということが発生することはあると思いますが、それを著者や手伝ってくださった人のせいにしてしまうのは、他己責任になってしまい、「あまりよくないかな」と思います。

やるだけ満足「働き方改革」

結論から言うと、タイトルの件、目に見える効果(時間外労働が減るとか、売り上げが上がるとか、人件費に改善が見られるとか)がないと、何の意味も無いと思うんです。

更に社内での信頼できる人間関係もないと、こんなことできっこない。

企業で働いている人であれば誰でもそう思っていると思います。

僕にとっては、例えば、クラウドのオフィスツール(デファクトスタンダードで有名なアプリ)の導入が、最近になってやっとありました。

職種と業務形態からして、「やっと導入したか」って感じです。

それに増えたのが上司との面談。所謂1on1ミーティングっていうやつです。いろいろな有名企業が導入しているものです。

この面談、どうしても上下関係がある。

仮に「部下の今後の会社における地位向上」だったり、「キャリアアップ」を見据えて話をしていたとしたら、上司は、それに対して専門性のある知識を持っていたり、話が出来る確信があるのでしょうか。

専門書や何かしらの講座などで、こういった人事に関するボキャブラリーをしっかりと確認された上で対応されて頑張られてる方もいるかもしれません。それなら信用はできなくもない。そういった人ならいいなぁ。

ただ、突然始まった面談で、いきなり上から目線で親身に話をされても、いきなりこちらも腹を割れますか…と思います。

その上司の日頃の行いを見ていると、(例えば、部下が「良かれ」と思ってやったことに対して、特に失敗や損害を与えたわけでもないのに、重箱の隅をつつくような叱責をくだす…など)面談に対して、こちらも尻込みしてしまいます。

京都と池袋で…

10月25日(金)〜26日(土)、1泊2日と短いですが、京都へひとりで泊まりで旅行に行きました。次の27日(日)は、池袋で1日中、趣味に没頭してきました。

久しぶりに自分の好きなことに夢中になり、気持ちが整理できたような感覚を覚えました。

ひとりで京都へ行ったのは初めてでした。
※行き帰りは別でも、宿泊場所が家族と一緒だったり。
※同じく近畿地方の大阪へは1泊のつもりが2泊になってしまいましたが、今年の1月に初めて一人で行きました。(帰りの寝台列車が運休になってしまい、予定が変わった)

行ってきた動機は、KYOTO NIPPON FESTIVAL(北野天満宮)で、好きな作品(ソードアート・オンライン)とのコラボレーション企画があったため、1ヶ月前から新幹線とホテルの予約を取りました。

境内をストリーミング(同内容のCDつき)で散策する企画は、作中の登場人物と一緒に行動していたり、作品と同じような世界にいるような気分に浸れて面白かったです。

限定のグッズも早めに買いたいと思い、企画の発表を知ってから、すぐに京都へ行くことを計画しました。

Twitterでいつもお世話になっている方はご存じだと思いますが、私のキャラクターへの依存・こだわり(キリト)が強く、これだけは誰にもゆずれないものがあり、これとは関係ない、他の作品も原作やBDを買ったり、視聴したりすることはありますが、ソードアート・オンライン(とくにキリト)に関しては、ストレートな表現をすると「金に糸目をつけない(他の趣味との兼ね合いを考えつつ、限界を超えない範囲で)」ことにしています。

また、京都ではネットで交流のあった方と初めてお目にかかったりといったこともありました。

他の趣味ということで、京都から地元の埼玉県に帰ってきた翌日、27日(日)に、豊島区の「池袋ハロウィンコスプレフェス」へ知人と一緒に参加しています。

コスプレをしていた作品が好きな方に声をかけてもらいつつ、新しく知り合った方とお話ししたり、顔見知りの方と会場で挨拶したりといった過ごし方をしました。

28日(月)は平日ですが、仕事は休みでした。

過去に撮りためたビデオカメラの映像が大量に溜まっていて、それらをパソコンにキャプチャしたり、部屋の掃除をしたりして過ごすつもりが、池袋から帰ってきた夜に寝落ちしてしまい、起きたときには既に28日(月)の19時になっていました。

寝過ごした事への罪悪感はありますが、3日連続で動き続けた事への達成感では非常に満ちあふれたものがありました。

普段、仕事から帰ってくると、仕事に対してバーンアウトしてしまい、家では何も出来なくなってしまうことが多々あるのですが、できたら、こういったことはなくしたいと悶々と思っています。

多動性を抑えるようになってしまった気がする

唐突ですが、幼稚園の頃は女の子の友達と遊ぶことが多く、男の子のグループにはほとんど入らずに幼少期を過ごしました。

 

幼稚園の先生からは、どの先生からもすごくかわいがってもらい、こちらからも積極的に先生のところへ話をしにいった覚えがあります。

今までの中学校のころまでの同級生の顔よりも、先生方の顔の方がよく覚えています。

 

小学校では登下校を中心に、必然的に男子とも関わることが多くなりました。

 

男子は道草を食って道ばたの草花で遊んだり、広いところでおふざけをしたりすることが楽しいようで、インドアな遊びが好みだった自分は早く歩くのを再開したくて(きちんと下校するという意味も込めて)「早く帰ろうよ」と発言することが多かったです。

 

一緒の男子は「先に帰れば」と発言し、僕を仲間はずれにする意図があったのだろうとは今では思いませんが、僕にとっては疎外感、今振り返ってみると「どうしても感性が合わない」というのをずっと感じていました。

 

3年生になって初めて、クラス替えがあり、たまたま低学年の時に近所の男子が一緒のクラスだった条件が崩れ、一人で帰るか、幼稚園が一緒だった女子と帰ったりすることが増えました。

一人で帰る割合の方が多かったです。

 

3年生のときは、2年生で別のクラスの担任をしていた先生が、3年生に上がってからも引き続き担任を担当され(一部、3年生になってクラス替えがあっても担任が変わらない児童がクラス内にはいたということ)、その担任の先生の雰囲気がわかっている児童が多く、授業中に面白い雰囲気になることが多く、私が特徴的な大きな笑い声(ケラケラ笑いと呼ばれた)で反応してしまうことが多く、それでクラス全体からは割と構ってもらえて、教室内においてはクラスになじめた記憶があります。

 

それ以降、隔年だったクラス替えが、毎年度毎にクラス替えをする方針に変わり、4年生の頃からは再び、男子とは馴染めないことが多くなり、再び女子と関わることが多くなりました。

5年生では、4年生のときの女子とクラスが一緒になった人数が多く、引き続き女子と仲良くすることが多かったですが、年齢も上がり女子とも関われなくなり、6年生の時には完全にひとりの状態となり、唯一話しかけてくるクラスメートは、学年内でいつも問題を起こす児童で、その周辺のグループから、最終的には僕がいじめを受ける立場になりました。

 

幼稚園のころから、小学校3年生のころは、友達関係はどうであれ、クラスの中で大声で笑っても恥ずかしい思いをしないくらいには、最近のことばで言うと「陽キャラ」に近いものがあった気がします。

 

だんだんうまく過ごせないことが多くなってしまい、自分がおとなしくしてれば、平穏に過ごせるというような感覚を身につけてしまった気がします。

 

今もその感覚、悪く言えばトラウマがあり、同級生や同年齢の人とお話しするのに抵抗感を大きく感じることがあるような気がします。

いろいろな集まりで、年上の方と過ごすことの方が好きです。

 

とくに自分を良くみせたいとか、そういった気持ちは一切ありません。

(少しでも騒音があるなど、環境によって会話に適応できないケースもあるが…。)

人間関係、つねに上手くいかないことはわかっていますが、それ以前に自分を抑えすぎかもしれないという気づきが、この歳になってあります。

 

この抵抗感さえ減れば、もっと色んなことができるような気がします。

記憶の連想

物思いにふけることがよくあり(考え癖というやつでしょうか)、台風19号の影響で、仕事が休業になり、外出もせず、台風に向けて対策をしながら家で過ごす時間が多く、「やっぱり物思いに更けることが多いな。思っただけで済ませちゃうのは勿体ないな」と思って、新しくブログに書き留めておくことにしました。

早速、第1回目──

12日(土)の午前中、まだ台風が本州に上陸する随分前のことでした。

うちは埼玉県にあるのですが、今までにない台風との事で、自室の窓ガラスにテーピングをしたり、段ボールを貼ったり、万が一、屋根が吹き飛んだときに一緒に飛んでいくと困る大切な品物を一時的に仕舞ったり‥‥といったことをしていました。

窓ガラスにテーピングをしているとき、小学校1年生の、ちょうど秋の出来事を思い出しました。

朝、僕が小学校へ登校する前、母が自動車で父を駅まで送りに行くのですが、僕もそれに付いていき、少しの間ですが、家を施錠します。施錠したのは父でした。

母が駅で父を降ろし、母と僕が家に戻ったところ、家の鍵が無く、家に入ることが出来ませんでした。自動車で駅まで行くとき、父が家の施錠をしたまま、誰も鍵を受け取ることをしなかったためです。

僕の登校の時間(集団登校なので、登校班の集合時間)が迫っており、仕方なく、母と僕は家の窓を割り、家の鍵を無理矢理開けることにしました。

登校班のメンバーには先に行っておいてということを伝え、家の鍵を庭にあった手の平大の石で割ろうとしたのですが、強化ガラスのため、びくともしませんでした。

仕方なく、近所の方の電話を借り、鍵の業者に依頼をし、解錠をお願いしました。

小学校へは遅刻しましたが、朝から運動会の練習をする日だったので、授業などに大きな支障はありませんでした。

それから数年が経ち、僕も高学年になり、登校班の班長をしている立場になりました。

小学1年生のときの班は人数が膨らみ、数年が経ち、2〜3のグループに分裂したかたちになっていました。

具体的にいつの季節かは忘れましたが、当時、もうひとつのグループの班長のことを、僕は「信頼できる友人(いわゆる、親友)」と思っていました。

通学中、班どおしで一緒になり、班長(僕と友人)が隣どおしで、2列になり、一緒に歩き始めました。

そこへ、もうひとつの班(なぜか既に班の体裁をなしていなく、バラバラになっていた気がする)の班長がやってきて、3人になりました。

その、あとから来た班長も、僕にとっては、そんなに仲がよかったわけではありませんが、友人という認識でした。

しかし、その友人は、僕の(この話に出てきた最初の友人)親友とコソコソと話をし始め、親友と友人と2人きりで、急いで走って行ってしまいました。

僕も30mくらいは走りましたが、うしろに班のメンバー(ほとんど学年が下の女の子)がいるため、それを無視することは出来ず、列に戻りました。メンバーがついてこなくてよかったです。

コソコソ話をしていたのは、僕を仲間外れにしようと企てていたのだと思います。

今思えば、班を分裂する話し合いをしたときも、その友人は、僕と別の班になってすごく喜んでいた記憶があります。

話が支離滅裂になっていますが、台風で窓に対して対策を施している最中に、こんな気持ちの良くない記憶を思い出してしまったことを表したく、ここまでの文章を書き殴りました。

今は人間関係、学生時代には築けなかった友人にたくさん恵まれ、すごく幸せですが、学生時代は、とにかく良い思い出がありません。

日々の生活でも思い出すことは滅多に無いですが、ふとしたときに、トラウマのように思い出してしまうことがあります。