車輪の徒然なるままに

生活の中で気づいたことをストレートに書き綴ります

記憶の連想

物思いにふけることがよくあり(考え癖というやつでしょうか)、台風19号の影響で、仕事が休業になり、外出もせず、台風に向けて対策をしながら家で過ごす時間が多く、「やっぱり物思いに更けることが多いな。思っただけで済ませちゃうのは勿体ないな」と思って、新しくブログに書き留めておくことにしました。

早速、第1回目──

12日(土)の午前中、まだ台風が本州に上陸する随分前のことでした。

うちは埼玉県にあるのですが、今までにない台風との事で、自室の窓ガラスにテーピングをしたり、段ボールを貼ったり、万が一、屋根が吹き飛んだときに一緒に飛んでいくと困る大切な品物を一時的に仕舞ったり‥‥といったことをしていました。

窓ガラスにテーピングをしているとき、小学校1年生の、ちょうど秋の出来事を思い出しました。

朝、僕が小学校へ登校する前、母が自動車で父を駅まで送りに行くのですが、僕もそれに付いていき、少しの間ですが、家を施錠します。施錠したのは父でした。

母が駅で父を降ろし、母と僕が家に戻ったところ、家の鍵が無く、家に入ることが出来ませんでした。自動車で駅まで行くとき、父が家の施錠をしたまま、誰も鍵を受け取ることをしなかったためです。

僕の登校の時間(集団登校なので、登校班の集合時間)が迫っており、仕方なく、母と僕は家の窓を割り、家の鍵を無理矢理開けることにしました。

登校班のメンバーには先に行っておいてということを伝え、家の鍵を庭にあった手の平大の石で割ろうとしたのですが、強化ガラスのため、びくともしませんでした。

仕方なく、近所の方の電話を借り、鍵の業者に依頼をし、解錠をお願いしました。

小学校へは遅刻しましたが、朝から運動会の練習をする日だったので、授業などに大きな支障はありませんでした。

それから数年が経ち、僕も高学年になり、登校班の班長をしている立場になりました。

小学1年生のときの班は人数が膨らみ、数年が経ち、2〜3のグループに分裂したかたちになっていました。

具体的にいつの季節かは忘れましたが、当時、もうひとつのグループの班長のことを、僕は「信頼できる友人(いわゆる、親友)」と思っていました。

通学中、班どおしで一緒になり、班長(僕と友人)が隣どおしで、2列になり、一緒に歩き始めました。

そこへ、もうひとつの班(なぜか既に班の体裁をなしていなく、バラバラになっていた気がする)の班長がやってきて、3人になりました。

その、あとから来た班長も、僕にとっては、そんなに仲がよかったわけではありませんが、友人という認識でした。

しかし、その友人は、僕の(この話に出てきた最初の友人)親友とコソコソと話をし始め、親友と友人と2人きりで、急いで走って行ってしまいました。

僕も30mくらいは走りましたが、うしろに班のメンバー(ほとんど学年が下の女の子)がいるため、それを無視することは出来ず、列に戻りました。メンバーがついてこなくてよかったです。

コソコソ話をしていたのは、僕を仲間外れにしようと企てていたのだと思います。

今思えば、班を分裂する話し合いをしたときも、その友人は、僕と別の班になってすごく喜んでいた記憶があります。

話が支離滅裂になっていますが、台風で窓に対して対策を施している最中に、こんな気持ちの良くない記憶を思い出してしまったことを表したく、ここまでの文章を書き殴りました。

今は人間関係、学生時代には築けなかった友人にたくさん恵まれ、すごく幸せですが、学生時代は、とにかく良い思い出がありません。

日々の生活でも思い出すことは滅多に無いですが、ふとしたときに、トラウマのように思い出してしまうことがあります。